名古屋に行くのは小学生以来というご無沙汰ぶりでしたが、7月10日11日と徳川美術館で開催されている、企画展『裂の美』を是非とも見学したいとの思いで名古屋に行ってきました。実は、奈良から名古屋までは、近鉄と名鉄が共同で高速バスを一日5便運行しています。時間も2時間半ほどで、三五夜の真ん前JR奈良駅バスタームナルから乗ってしまえば、あとは名古屋駅までほぼノンストップ。値段も往復キップ(通用4日間)で4300円(!)と大変お得で便利です。
早朝6時50分JR奈良駅前初のバスに乗り込み、9時20分には名古屋名鉄バスセンターに到着。道中も快適でした。
そこから、JR名古屋駅側にある市バスのバスターミナルに移動し、11番乗り場へ。市内の観光名所を循環する「めーぐる」に乗り込みました。「めーぐる」の一日乗車券は乗り降り自由の1枚500円(市内初乗り210円)、また各施設でメーグルの乗車券を見せると入場・入館料が割引になりますのでお得です。見どころマップなども車内に置いてあり、見どころなどを紹介していますので、是非ご利用になってくいださい。
さて、最初に行ったのは徳川美術館。徳川美術館は名古屋市東区徳川町の徳川園内にある、1935年に開設された徳川黎明会が運営する私立美術館。元は尾張第二代藩主光友公の広大な隠居所「大曾根御殿」から始まり、明治には尾張徳川公爵本邸、次いで公爵家は東京に移った後は名古屋別邸となり。戦後は尾張徳川家の所蔵する貴重な文化財を保存する美術館になりました。2005年には日本庭園の徳川園も整備されています。
茶道具でも裂は、名物といわれる茶道具の仕覆や包み物、掛軸の表装などに舶来の珍しい布を用いて仕立てられたので、それらに附属するものが多かったことから「名物裂」と呼ばれる事になったと、三浦和子 三浦紫鳳先生の名著『数寄の名脇役 茶の裂』のタイトルに今更ながら感心したりしました。
展示品は金襴、緞子、錦、開道、更紗、蒙流(もうる)などが、小さく裁ち切られず織留を含んだ大きな布が多数あり大変見応えがありました。布は元来使うために織られるので、未使用の古布は大変貴重なのですが、さすがは御三家筆頭の尾張徳川家と言わんばかりの名品揃いでした。図録は無く、今回はこの小さな冊子だけですが、大変良い勉強になりました。
また「めーぐる」に乗って、次は名古屋城へ。先月完全復元が完了した名古屋城本丸御殿の「上洛殿」を見学。
江戸初期寛永年間に徳川三代将軍家光の上洛に際して新築された、極彩色の欄間、障壁画、二重折上格天井など、武家書院造の完成形が、往時の姿そのままに見事に蘇っていました。惜しくも先の大戦で天守閣とともに焼失したものが、正確な実測図と記録が残っていた事でこの度実現したとのこと。名古屋市は今後、現在のコンクリート造の天守閣を完全木造で再建するそうです。
特に印象的だったのが、「黒木書院」と言われる上洛殿の奥に建つ二間だけの建物。本丸御殿の諸建築が良質な檜造であるのに対して、黒木書院は松材を使用し、また新築でなく清洲城からの移築であるという事。関ヶ原合戦前後に家光の祖父である徳川家康が清洲城にあったこの建物に泊まったとされています。
今回は同時に建てられたので檜と松であっても同じような新築の美しさがありますが、当時の黒木書院と上洛殿は建築年代の違いや、豪華絢爛な上洛殿に対し、形式も古く簡素な黒木書院は、相当な違和感があった事でしょう。記録によれば家光は名古屋に二泊しているのですが、その内の一泊にこの黒木書院が当てられたそうです。自らを「二世将軍」と密かに念じ、祖父家康を追慕して止まない家光が家康ゆかりの建物を移築してでもここに建てた執念ともいうべき想いを感じました。
上洛殿より奥の御殿は家光以降の将軍が上洛する事もなくなり、その後14代家茂が上洛するまで使われる事なく長い眠りにつきます。梅雨の晴れ間の広がる名古屋で歴史のロマンを感じました。