愛知県陶磁美術館の特別展『文人趣味と煎茶』-こだわりの遊び-展へ行ってきました。この美術館では度々煎茶器展をやっているのですが、今回は名古屋の美術収集家木村定三コレクションのうち、煎茶文人趣味に関係する書画、文房具、煎茶器、花器などが展示されています。
まず書では、黄檗三筆と言われる(隠元・木庵・即非→後期展示)、茶の湯で用いられる大徳寺物の和様の書とは明らかにちがう、筆使いとリズム感の所謂「唐様」と言われる書がずらり。大陸的で大らかな書を楽しめました(書画は撮影不可)。続いて文房具では、秦始皇帝の阿房宮の瓦を用いたと言われる瓦硯、清朝第四代皇帝康熙帝の愛玩した板硯など、中国の至宝がずらりと並んでいました。
茶器では、具輪玉と言われる形の宜興の烏泥茶銚(明〜清代)、煎茶器の名工青木木米の白磁双龍宝珠文急須、南蛮急須、清代の古色の良く出た茶入、茶托、鳳凰の透し彫りが美しい鉄鍍金の涼炉台、御所柿手と言われる赤い素焼きの湯沸し(煎茶ではボーフラといわれ、ポルトガル語の「カボチャ」からきている)、また幕末〜明治に活躍した最後の文人と言われる富岡鉄斎の作品も多く、ポスターの虎に乗る人物の絵「虎僊育褲は、有名な羊羹の老舗「虎屋」の主人黒川正弘のために鉄斎が描いたものを木村定三が懇願して譲ってもらったもの、その他、初代諏訪蘇山(帝室技芸員)と富岡鉄斎の合作の藤蔓手付菓子器も虎屋に纏わるものでした、花器では文人花に相応しい青磁、染付、茶葉末釉の花瓶に文人花の作例もありとても見応えがありました。木村定三自身は煎茶はやっておらず、専ら茶の湯の茶会などでこれらのの煎茶器を見立てで用いていたようです。
煎茶道具の解説もあり、煎茶道を知らない方にもよくわかるようになっていました。茶の湯の茶道具と比べると全体的に小ぶりで華麗で端正なものが多く、美意識の違いがよくわかります。
木村定三コレクションは煎茶器のみならず近代画家の熊谷守一のパトロン&コレクターでもあり、書画、書画、茶陶、仏教美術、考古学資料など3307件に登りその、一個人とは思えない膨大なコレクションは定三氏の遺志を継ぎ愛知県美術館に寄贈されました。
最後に一番心に残った、木村定三が愛した交趾釉象型陶印「淡如水」について。これは、『荘子』外萹山木の「且つ君子の交わりは淡くして水の如し、小人の交わりは甘くして醴(あまざけ)の如し。君子は淡くして以って親しみ、小人は甘くして以って絶つ」からとった言葉で、「淡交」あるいは黒田官兵衛孝高の号「如水軒」の語源でもあります。(君子の交わりは淡くして水のようですが、凡人の交わりは甘酒のようです。君子の交友は淡々として程よい距離を保っていますが、それでいて親しみ深く、凡人のそれはうまみや楽しみがありますが、ドロドロとして深みにはまると返って交わりが壊れてしまいます)、人間世界なかなかそのように君子の交わりのようにはいかないものですが、茶道における「淡交」や「如水」の喩えはこれからもよくよく心がけていきたいと思います。
ご案内いただきました愛知県陶磁美術館の学芸員Tさんには重ねてお礼申し上げます。Tさんも煎茶道売茶流のお茶をされるお茶人で2月には明治村の坐魚荘(旧西園寺公望邸)で、この展覧会のための特別煎茶会を開催されました。西園寺の実弟は、煎茶愛好家の住友春翠でありこの兄弟のつながりは煎茶にとって大きいなと思いました。公望の扁額を三五夜の茶室に掲げるのもいあなと思いました。
愛知県陶磁美術館には、地下鉄東山線の藤が丘から「リニモ」という新交通システムにのって、陶磁資料館南という駅で降ります。神戸のポートライナー、六甲ライナー、東京のゆりかもめ、そして名古屋のリニモと新交通システムも時代とともに乗り心地が良くなってます。
リニモの駅名に「長久手古戦場」というのがありちょっと萌えました。400年余り前、天下統一を目指す豊臣秀吉と徳川家康が唯一戦った場所。局地戦の長久手の戦いで家康に完敗を喫し、家康を完膚なきまで叩き天下統一を果たし絶対王権を確立する夢を阻まれた秀吉は、天下統一後も家康を大大名として遇さざるを得ず、朝廷をバックにした豊臣関白家を創始し、徳川とその他大名との勢力均衡に腐心しつつその政権を維持しました。
その後の歴史はご存知の通り。長久手の戦いは秀吉にとってしなくてもよい戦いであったとの想いが生涯残ったまさにターニングポイントとなるところだったでしょう。名古屋郊外の今は大きなショッピングモールが出来、往時を思わせる雰囲気は全くありませんが、愛知県陶磁器美術館の煎茶器展の帰りにそんな事を思いました。駅からはこんな素晴らしい夕焼けが望めました。