先日開催しました教室特別ワークショップ『山村御流のお正月花を生けよう』に参加するために、はるばる愛媛から友人が奈良にやってきました。ワークショップ前々日から奈良に滞在中私は、奈良のご案内をしましたが、友人の希望で室生龍穴神社に行ってきました。私も前々から行きたいお社でしたので大変有難く喜んでご案内させていただきました。
伝承によれば、昔猿沢池に棲む龍が、最終ここを安住の地としたとされています。 龍の棲む吉祥龍穴には篳篥を持参して祈願と献奏をさせていただきました。龍穴の前でかなり長い時間滞在したしましたから途中、雪が降ったり止んだり晴れ間がのぞいたりと目まぐるしく変わり天候を司る龍神様が息づいている様に感じました。
さてその後龍穴神社にお参りした後、私のたっての希望でこの安騎野の柿本人麻呂像のたつ公園まで連れて行ってもらいました。 持統天皇六年(692)11月17日に行われた軽皇子(後の文武天皇)の御狩(薬猟)に供した柿本人麻呂が読んだ歌とされ、夜明け前の陽光が炎(かぎろひ)のように東の空を染め、西の方には月が沈もうとしていたとの大意とされます。実際にもっと深い意味を持っている歌とされますが、この11月17日は旧暦にあたり、現在では12月31日にあたるそうです。 今年は一年を通して異例づくめの年となりました。その令和二年もあと数日で終わりとなります。新しき年は夜明けを迎える鮮やかかぎろい立つ払暁となってもらいたいとの思いです。
今週末、12月26日(土)〜28日(月)まで開催する三五夜の師走の月釜も、今年最後の茶席にこの忘れがたき年を一服の茶で振り返り様々な思いをめぐらせ、次の年はどうか夜明けの光が見える幸多き年にしたいとの思いも込めて致したいと思っております。どうぞご参席の皆さまにもその想いが通じますように。 前々から行きたいと思っていた故地に今年中に行けて本当に良かったです。ありがとうございました。
軽皇子安騎野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌『東の野に炎の立つ見て かへりて見れば月傾きぬ』万葉集巻1-48万葉集の中でも最も有名な歌の一つとも言われる安騎野遊猟歌。
ちなみ万葉集の原文では、『東野炎立所見而反見為者月西渡』となっております。