三五夜の如月の聞香茶会、無事終了しました。珠光茶会の最中に全国からお茶人さんが集まるので、この期間にぜひしかも二日間に渡り、お茶は珠光茶会の各席でお飲みになるので、三五夜らし趣向をと凝らして聞香を取り入れました。聞香は一ちゆう聞で、三香の中から一香をお客様に選んでいただきたい熏いてお出ししましたが、各席で全て違う香を熏くことが出来て、お客様の引きの強さにも感謝です。



また時事的なことも考慮して、今回はご入席のお客様ご希望に添って濃茶の各服点てをいたしました。また、今月はいつもお点前をお願いしている同じ社中の相弟子が仕事都合でどうしても、お手伝いかなわない事から、私の茶の湯の師匠でもあり、三五夜の月釜を監修していただいている表千家教授堂後宗邑先生から、堂後茶道教室の社中さんから大先輩のTご夫妻を推薦していただき奥様にお点前、ご主人には水屋にて練り出しおよび点て出しをお手伝いしていただきました。
床の間のお軸は、大和三尼門跡中宮寺の日野西光尊様の『一華開五葉』。 寛永の頃、京都三条釜座で作られた古鉄の花入に加茂本阿弥を一輪合わせて。薄器の白粉時は八代宗哲の梅花の蒔絵が施され、茶の湯らしい侘びた道具立てに花を添えてくれました。



お菓子は、主菓子が奈良の老舗である萬々堂通則さんの練切、上質な漉し餡と練切のしっとり甘い感じが絶妙なバランスでした。菓銘は梅の練切ですので「さきがけ」としました。またお干菓子は今回は三種盛りで、赤い干し羊羹は奈良県東部山間地帯の梅の干し羊羹、煎餅が鶴屋徳満ささんの「奈良之香」柚子の香りとざら目の砂糖の甘さの程よい感じがよく、もう一品は寛永堂さんの丹波黒の「チョコレート」で2月のバレンタインもちょっと意識しましたw


また三五夜の月釜ではもはや定番化した、待合での香煎出しは、煎茶道のお道具を設えてお点前で今回は黒豆茶の香煎をお出ししました。黒豆を煎ったものを、涼炉の上の沸きたてのお湯が入った急須に仙媒(茶合)でサッと入れるとジュワー→グラグラという音がします。煎茶道のお点前でも、中国茶や釜炒り煎茶などではこの入れ方をすることの応用です。
お茶碗にも、黒豆をニ粒入れて飲んだ後は召し上がっていただきました。


待合の七尺床の軸は、明治期の南画家、内海吉堂の墨竹図、花は瑠璃釉薬の瓶に苔梅、菊、葉付デンファレ(蘭)の瓶花とし、軸の竹と合わせて、『四君子』の迷語画題としました。

『四君子』とは
梅=厳しい寒さの中、他の花に先駆けて咲く生命力の強さ.
蘭=人も入らない深山幽谷にあって、ほのかに香りを漂わせ清楚な姿を見せている孤高の美しさ.
竹=天に向かってまっすぐに伸びて、その幹には節があり、中は空洞になってる事から、心が素直で、上下の分をわきまえて、また中身が空洞であることから二心のない事.
菊=晩秋の寒さの中で大輪の花を咲かせる華麗さと、花持ちが良く花弁や葉が薬として用いられた事から弥栄や不老長寿の象徴として好まれた事

それらの草花のいで立ちを君子の姿(あり方)になぞらえたもので、中国王朝の皇帝や士大夫など高級官僚や、日本でも煎茶家や芸術家、京阪の富商などの文人趣味の人たちに好まれました。
煎茶道具の後ろの屏風は、大正から昭和初期と思われる、青緑山水図の春と夏の場面、もとは二曲一双で秋と冬の場面もあったのでしょうが、今伝わっているのはこれだけ。春の桃源郷の世界が私のお気に入りの場面でしたので、今回の設えで用いました。
華々しい待合から、下の茶室では、梅を趣向にした設えで濃茶続き薄で楽しんでいただきました。
新型肺炎の流行などで、色々と考慮しての茶会となりましたが、初めてのお客様も常連のお客様も皆さん周りへの配慮やご協力をいただき、良い雰囲気の中で今月も終えることが出来ました。
ありがとうございました。来月も三五夜の月釜はございます。また、詳細決まりましたらお知らせしますので、是非ともお越しください。お待ちしております。
