すでに一週間前のことになりますが、今月の4月の三五夜月釜も無事に終了いつぃました。 桜の開花が例年以上に早く本格的な春が到来しました。古都奈良も美しい花の季節です。桜が終わると次は藤。万葉の昔から藤は歌も詠まれ人々に愛されてきました。三五夜の4月の月釜は先月盛大にお披露目した二階八畳の広間を引き続き使います。炉も最後の月となり五徳も上げ春らしい一席としたいと思います。月釜期間中の4月19日は饅頭の神様である漢國神社内にある林神社の「饅頭祭り」が執り行われ、毎年お呈茶とお菓子のお振舞いがあるのですが、今年は残念ながら中止とのこと。お茶席にはなくてはならないお菓子への感謝の意味も込めた趣向も取り入れたいたものとなりました。
その 三五夜のある奈良三条町(旧三網田町)の鎮守社である漢國神社には徳川家康が奉納した鎧一領があります。本物は現在奈良国立博物館に収蔵されていますが、レプリカを神社内で展示してあります。奈良は中世から戦国期かけて武具の一大産地であり、足利将軍家や戦国大名の甲冑を製作していました。この鎧も徳川家康が、漢國神社の隣地に屋敷を構えていた岩井与左衛門に作らせたものと考えられます。岩井与左衛門家は後に江戸に移り、以後徳川将軍家御具足師となります。岩井与左衛門が奈良在住時代の鎧は、静岡久能山東照宮と茨城水戸東照宮の物が伝えられているのみであり、近世具足の代表的作例ともされており、大変貴重なものであります(奈良市ホームページから抜粋)。
漢國神社に何故家康がこの鎧を奉納したのかは、講談にも語られるような面白いフィクションがありますが、饅頭の神様といい家康の鎧といい、奈良の知る人ぞ知る神社にも大変興味深い歴史が隠されています。
そして今回の月釜の待合に、甲冑の肩鎧をインテリアとして提案している、平安武久(@heianbukyu )さんの額飾りをかけさせていただきました。漢國神社の饅頭の神様と共に家康の鎧。ちょうど端午の節供の先駆けとしても楽しんでもらいました。 偶然にも配布用の平安武久さんのリーフレットの写真に、黒田官兵衛の朱塗合子形兜が使われているのも嬉しいですw
また三五夜月釜の今月の香煎は、先日の伊勢参宮の折、内宮の奥宮ともいわれる瀧原宮に行った際、近くの道の駅で求めた大台の山間でとれたハーブをブレンドしたハーブティーをお出ししました。爽やかな香りが間もなく来る夏を思い起こさせる感じでした。
藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君
作者: 大伴四綱(おほとものよつな)
よみ: 藤波の花は、盛りになりにけり、平城(なら)の京(みやこ)を、思ほすや君
万葉集で有名な藤の歌といえばこの歌がよく取り上げられますが、実はこの歌は有名な、「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり 」と対になる歌といわれています。この歌に詠まれた「花」は、現在の日本人がイメージする「サクラ」ではなく、「藤」だとも!
作者:小野老(おののおゆ)・・・小野妹子のひ孫
大伴四綱にしても小野老にしても、もとは奈良の都「平城京」で働く宮廷官人でしたが、いまは大伴旅人に付き従って大宰府に赴任しています。赴任といっても体よくは左遷の身。奈良の都では、「藤(原)」氏の全盛期と自らの境遇を対比した歌だともいわれています。
月釜初日と二日目は天気が不安定で時折、雨の降るあいにくの空模様。二日目は一時ヒョウもふったようです(で、どちらも夕方には虹がみえました)。
三日目は雨も上がり晴天。三日目の朝、本席に生けたムロウテンナンショウ(別名マムシグサ)の露にも光があたりました。
三諸就 三輪山見者 隠口乃 始瀬之桧原 所念鴨
三諸(みもろ)つく 三輪山見れば、隠口(こもりく)の 泊瀬の桧原 思ほゆるかも
今回も泊瀬の山奥から到来しました。
今回の月釜のお道具立ては、大壺(大水指)のお点前で皆様をお迎えにしました。この大壺のお道具立ては、表千家10代吸江斎が、徳川御三家の一つ、紀州の徳川家10代治寶(はるとみ)公から拝領した大壺を元にお点前を考案したものです。本歌は染付の壺に塗りの盆を蓋にしているので別名「盆蓋」とも呼び慣わしてします(さらに家元の本歌は拝領品なので塗りの板に載せるが、その他は板に載せない)。 紀州徳川家55万5千石の大藩の藩主である治寶公は文芸や芸能を愛し「数寄の殿様」とも呼ばれましたが、表千家にとっては9代了々斎が若くして亡くなった後、久田家から了々斎の甥を迎え、生前了々斎から「皆伝」を受けていた治寶自らが「皆伝」を授け10代目(吸江斎)を継がせる事で千家の正統を守りました。
その様な治寶公に由縁のあるお道具立てのお席の一つに、いつも仲良くさせていただいている雅楽師の雑喉泰行 (@zakouya_bunuemom )さんがご友人をお連れして来てくださいました。雑喉さんとは、昨年、山下智子さんとともに、雅楽ユニット「天地空」として、源氏物語と雅楽のコラボイベント「やまとひかりたまゆら」も企画して好評をいただきました(来月29日にも第二弾を企画してます)。その雑喉さんが、雅楽の愛好家でもあった治寶公がお抱え楽師の東儀出羽守に下賜した篳篥を持って来てくださって、『春鶯囀(しゅんのうてん)』演奏してくださいました。さらに、その日の朝に上げた三五夜(@nara0358 )の投稿ですピンと来たお正客様は、その徳川治寶公自作の茶杓を持ってきてくださり、一緒に並べてもらいました。 この様なサプライズが起きるのも、少人数の小寄せ茶会で、時間をゆったりと過ごしていただけるからだとしみじみ思いました。そして、お越しくださるお客様のお気遣いの賜物。皆んなで三五夜の茶会を楽しんでいただける事かなと思います。どんなお客様と一座を建立できるか毎度楽しみであります。 素晴らしいご友人をご紹介くださいました雑喉さん、またお正客様、偶然にもこのお席に時間変更して同じ感動を味わっていただきました皆様、ありがとうございました。
また今回の三五夜の卯月の月釜のお薄の主茶碗に使わせていただきました藤の絵の茶碗は、奈良の明日香村に近い高取で作陶をされている、明日香窯山本義博先生の作品ですが。四月の月釜を藤の趣向でと考えておらましたので、先日奈良の依水園でお会いした時に打ち合わせして、後日先生の高取での行われた「雛の会」の時にご用意してくださった中からこの一碗を求めました。 四日間の月釜の全席が終わった頃、タイミング良く桐箱を三五夜にお納めくださった時、先生に今日の一席を跡見としてお迎えできました。 菓子、濃茶、干菓子とお出ししつつお話しさせていただきながら、薄茶の時にはもちろん山本先生のお茶碗で。山本先生もご自身でお茶会やお茶事などもされるお茶人さんなのですが、逆としてご自身のお茶碗でお茶をいただくのは初めての事だとおっしゃっておられました。 藤の花も仁清乾山手の雅やかな所謂京焼の抹茶茶碗とは違う、決して派手な色合いを使わない、鉄絵の筆のタッチがまるで水墨画の様ですが、還元で焼き上げたやや青みのかかった釉薬の重なりが、薄明るい夜の雰囲気の中に藤の香りが匂い立つ様な感じで、誠に品のある一碗です。この手の茶碗はこの一碗でしたが、拝見した時からこれと決めておりました。三五夜は煎茶文人趣味のサロンでもありますので、先生とのお話しの中でもありましたように、京都の「雅び」に対して、奈良の「鄙(いな)び」がこの厳しい状況下の世の中で人々の心の和みとなるのではないだろうかと共鳴するものを感じました。このお茶碗も奈良にある三五夜だからこその好み物となるでしょう。
明日香窯山本義博先生の個展は、平群のスペース・パナクティ(奈良県生駒郡平群町椿井282)で、5月18日(火)〜23日(日)まで「琳派作等展」が開催されるそうです。どうぞ、足をお運びください。
そして、来月の月釜は特別茶会「白洲正子によせて」です。席主を務めて下さる古橋尚(たかし)先生のお茶碗も今回の茶会では前触れとして使わせていただきました。皆様も来月をたのしみにされています。残席は、22日(土)のみのとなっております。10時・12時半・15時の一日3席です。23日(日)・24日(月)をご希望の方は、キャンセル待ちにて承りますので、どうぞお問合せください。
世情的にザワザワしている中お越しくださった方々の御厚情に御礼申し上げます。片付けが一通り終わり、跡見にこられた友人、および月釜期間中お点前をしてくださったAさんと駅中の定食屋さんで、マスク着用、アクリル板越しに、熱くお茶について語り合い余情を愉しみました。 友人を駅まで見送り今回の月釜の趣向の一つでもあった三五夜の鎮守様に御奉告および拝礼し、心地よい疲れを感じつつ帰路につきました。