長月の三五夜の月釜は二周年記念茶会の第一弾でした。日にちがだいぶん経ってからの、無事終了の報告になってしまい申し訳ありません。
三五夜の二周年記念茶会の第一弾として行いまきた、長月の月釜はいつもと様相を異にして、私の茶の湯の師匠で三五夜の月釜の監修もお願いしています表千家教授の堂後宗邑先生( @kibunegiku1008 )に席主をお願いして、9月12日(日)・13日(月)の二日間に渡って行いました。今月から二日間になってご参加される方の人数が心配されましたが、奈良で滅多に釜を掛けない堂後先生のお席という話題もあってか、二日間ともに全席満員御礼という有難い結果となりました。まずは、ご参席いただきました皆様、そして堂後先生、毎月私と一緒になって頑張ってくださっているお点前のAさん。皆々様に篤く御礼申し上げます。
さて、お席はさすが表千家の先生で六歳の頃から茶の湯をお稽古を始められ、表千家では満50歳を迎えないと取れない教授職を異例の48歳で取られた堂後先生らしく、千家の流儀に沿ったお道具組みと千家代々の家元や各宗匠方の書付物が並ぶ誠に素晴らしいお道具の数々を出していただきました。本席床には表千家の宗匠家で千家に後継者がない場合、千家の家元を継いできた(徳川御三家のような役割を果たした)半床庵久田家十一代無適斎の『玉杵成霊薬(ぎょくしょうれいやくとなす)』。太古の中国では、月ではうさぎが杵で不老不死の霊薬を突いていた、という意味の言葉。まだ若い頃に師匠が次代の尋牛斎宗匠にお稽古の後に走り寄ってその意と無滴斎宗匠の物と懐紙に認めてくださった先生にとってはお茶の思い出として宝物のような物を出していただきました。濃茶の主茶碗には弘入の赤楽、表千家第十四代而妙斎家元の花押の入った奥村の風炉先屏風は今回初使いなど、書付けの入った箱の蓋が二階座敷の床脇に所狭しと並ぶ壮観な眺めでした。(なお、会記に関しては河原書店発行の『茶道雑誌』11月号に掲載される予定ですのでそちらもぜひご覧下さい。)
また、この日のお菓子は元ガラス工芸作家で今は生琥珀(乾燥させる前の普段はお干菓子として出される琥珀を乾燥させないで柔らかな生菓子でて作る)という新しいジャンルのお菓子を作り始めた、また三五夜の茶道教室で堂後先生のお茶のお稽古も受けておられるガラス工芸作家がつくる琥珀菓子 瑠璃菓の石井佳鶴子さんにはお願いした、黄色のこなしの上に透明な生琥珀を乗せて、猿沢池の水面に映る様子を現した主菓子「猿沢」を、幕末の一時期山城國木津で五摂家一条忠香公が焼かせたという幻のやきものとして知られて鹿背山焼の染付菓子鉢(こちらは先生の古くからの友人で陶芸家でもあり古美術評論家でもある名古屋の古橋尚氏から譲られた物)など奈良を思われるものも並びました。 濃茶の後の薄茶でも、お干菓子は引き続き『瑠璃菓』の琥珀と焼き菓子、それに先生がニューカレドニアで手に入れたという青貝の螺鈿細工の美しい木のくり抜き器に盛って。薄茶二服目には、霊薬ならぬ金平糖を永楽の卯の酒盃と、これまた先生のお好みの沖縄の空のようなブルーとホワイトの琉球ガラスの酒盃に入れてお出ししました。小粒の様々な色合いの金平糖と琉球ガラスの調和が美しくまた、沖縄をこよなく愛する先生ならではのお道具となり話しも、先生とお客様のお話も大いに盛り上がりました。
無事に二日間の記念茶会を終えて、先生も我々もホッとし緊張感から開放されてる疲れも最高潮でしたが、やはりお客様に喜んでもらえて「また次回も楽しみにしています」とおっしゃっていただけると、今後の励みにもなります。三五夜を開業して丸2年、茶会はその年の9月から月釜として始めたのは連続してはまだ24回にはなっていませんが、奈良で始まった茶の湯の伝統を今後も絶やす事なく続けてまいりたいと思います。
さて、次回10月はもう一人三五夜の月釜の監修をお願いしている裏千家の准教授で東北の古美術収集家浪坂宗正先生による、数寄を凝らした記念茶会第二弾です。裏千家代々の書付物など筋のお道具に、浪坂先生お好みの朝鮮や舶来物と奈良にまつわる物などを織り交ぜた大変興味深い茶会となる予定です。 10月11日(日)と12日(月)の10時、12時半、15時と一日三席ですが、すでに予約で満席となっており、ただ今キャンセル待ちにて受け付けております。会費はお一人様5000円(濃茶各服点て、薄茶二服、上生菓子、お干菓子付き)となっております。キャンセル待ちでお申込みの方は、ホームページのお問い合わせ欄からご連絡ください。