四月はコロナ騒ぎのため延期となった三五夜の月釜。五月は当初から月末31日(日)と決めていたため、緊急事態宣言も全国的に解除されたため開催致しました。ただし、まだまだ予断を許さない状況には変わりはないので、茶会で起こりやすい「密」を回避するにはどうしたら良いかと対処しての茶会となりました。
もともと、三五夜の月釜は一日のみですが、通常3席のところ2席にし、5名様限定といたしました。また、いつもの一階の四畳半から2階の八畳の座敷に席を設け、広間の茶会としました。
有り難い事に、snsなどを通じて5月の月釜の有無をお問い合わせしてくださるお客様が多く、少ない席数はイベントを呼び掛ける前に満席となりましま。ほぼ二ヶ月の間、茶会らしい茶会もなく、お客様も我々も久しぶりの再会を楽しみにして、お茶会を楽しんで頂こうと、お菓子は昨日まで特別に作っておられた樫舎さんの水仙粽を主菓子にしました。吉野本葛と上質の砂糖のみで作り、笹の葉で来るんだ粽はなんとも涼しげで香りも良く、また粽は疫病退散の菓子でもあります。
軸は第81世唐招提寺長老の森本孝順(もりもときょうじゅん)の『露』の一文字。「つゆ」読んで、梅雨入り前の掛物として用いても良かったのですが、「露わ=あらわ」と呼んで、正月明けからだんだん深刻さを増して遂にパンデミックを起こしたコロナ騒動で、人と自然、人と人、個人と社会の色々な事が露わになったなぁとの意味も込めました。それを乗り越えての昨日、やはり皆さんが一同に会してのリアルでしか味わえない茶会を開催できた喜びはひとしおです。
第一席目では、京都の敬愛する茶人さんで度々月釜にもお邪魔しているY先生がお越しなり、以前三五夜で上げた茶杓の兄弟をお持ちになってくださいました。そこで、お点前をしてくださっているAさんと、三五夜の月釜で監修に入ってくださっている、Aさんと私のお茶の湯の師匠でもある堂後宗邑先生が、吉田先生からお茶杓をお預かりし、ご使用の許可も得て茶筅飾りにて、お点前をさせていただきました。千家の習いでは、茶筅飾りは茶入・茶杓・水指・茶碗のいずれか一つが名物である時に行う物ですが、茶杓を使わせて頂きお濃茶(各服点て)、続き薄でお茶お菓子を楽しんでもらい、その後お道具拝見では利休好みの松木盆にお預かりした茶杓と、三五夜所持の茶杓をお回しして拝見していただきました。この茶杓は、公爵岩倉具栄(いわくらともひで1904〜1978。岩倉具視公の曾孫で華族制度廃止時の最後の岩倉公爵家の当主)公が、御所南殿(紫宸殿)の左近の桜、右近の橘の枝を用いて作られた物です。吉田先生のご銘は『庭燎』(宮中の祭事の時に焚く篝火)、三五夜所持のものは『萬年』とあり(Y先生の茶杓は人様の物でもありますのでここには乗せておりません)、具栄公が1928年〜33年まで帝室林野局に勤めていた事から、1928年(昭和3年)の昭和大礼(即位礼・大嘗祭)を記念して作ったいくつかではないかと思われます。第二次世界大戦、戦後の復興と高度成長時代、バブル経済とその崩壊によ経済的氷河期、そして今のコロナ騒ぎのなど約90年を経て、古都奈良の地で再会を果たした茶杓に思いを込め、一同に会した茶を愛好する人々が、またこうして合間見えて茶を通じて睦まじく出会えた事が大変嬉しい思いでした。
Y先生とご一緒のお席に入られた奈良のお茶人として名望のあるO先生も、面白いお話とお花など褒めていただき、楽しい席にしてくださいました。また、第2席では、当日が70歳のお誕生日の方がいらっしゃり、コロナ疲れで参った心を、この茶会で心晴れやかにして記念にしたいとお越しになられた方もいらっしゃいまして、第2席の席中で皆さんにその事を告げお祝いをいたしました。 この数ヶ月色々な困難がありまさたが、皆さんまたこうやって実際にお会いして、お茶を楽しむ事が出来本当に昨日月釜は印象的なものでした。6月は28日(日)の予定ですが、コロナに負けず心を引き締めて楽しんでいただけるような月釜を奈良で続けたいと思います。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
席改めでは、室内の換気およびアルコール消毒を入念にいたしました。