2021年7月の四連休、23日24日に行いました、 三五夜の文月の月釜『殿閣微涼生ず』無事に終了しました。今月も沢山の良い出会い時間をありがとうございました。炎暑の中の茶会でしたが趣向で涼を感じ、今年だからこその茶会にしました。禅語の一行として掛けた物ではありませんでしたので少し捻りすぎたかもしれません。
本席床は「薫風自南来くんぷうじななんらい」、茶の湯をやっている人にとっては季節違いとも受け取られかねない軸を。しかいこの語には興味深い逸話があります。唐の文宗(ぶんそう)皇帝(840年没)が、
人皆苦炎熱→人は皆炎熱(えんねつ)に苦しむ
我愛夏日長→我は夏日(かじつ)の長き事を愛す
と起承(きしょう)の句を作ったのを承うけて、詩人である柳公権(りゅうこうけん)(856年没)が、転結(てんけつ)の句を作って一篇の詩といたします。
薫風自南来→くんぷうじなんらい
殿閣生微涼 →殿閣(でんかく)微涼(びりょう)を生ず
【意訳】世間一般の大多数の人々は夏の日のカンカン照りの厚さを厭いやがるけれども、私はその夏の日が一年中で一番長いのが大好きである。暑い暑いといっても、木立ちを渡ってそよそよと吹いてくる薫風によって、さしも広い宮中もいっぺんに涼しくなり、その心地よさ、清々すがすがしさはむしろ夏でないと味わえないと。なんか皇帝にたいするお追従の過ぎるような対句ですねw。そしてその結果かどうか文宗死後約60年にして、さしもの大唐帝国も滅亡します(907年)。
約二百年後、唐の次に中国を統一した宋(そう)の士大夫(官僚)であり詩人、蘇軾(そしょく)(1101年没)は、この詩には残念ながら為政者(いせいしゃ)として庶民への思いやりがなく、風も通さぬウサギ小屋のような小さな家に起居し、炎天下、農耕に、商売に精を出さねばならない一般庶民の苦しさを忘れて、夏の長い日を広々として宮中で遊んで暮らせばよい皇帝の思い上がりの詩であると酷評し、当時の上流階級の人々への諷刺をこめて一篇の詩を作ります。
一為居所移 → 一たび居(きょ)の為に移されて
苦楽永相忘 → 苦楽(くらく)永(なが)く相忘わする
願言均此施 → 願わくは言わん此の施(ほどこ)しを均(ひと)しくして
清陰分四方 → 清陰(せいいん)を四方(しほう)に分かたんことを
【意訳】『皇帝陛下は生まれながらにして広々とした宮中に住んでおられるので、天下の人々が炎熱の中に苦しんでいるのに気がつかないのです。どうか、もっと天下万民の上に想いを寄せ、「薫風自南来、殿閣微涼を生ず」のような楽しみ、安らぎを人々に分かち与えてこそ、真の皇帝のあるべき姿ではないでしょうか(反語)』と、、、。
蘇軾は蘇東坡という名前でも有名な中国を代表する大文人ですが、その当時の北宋も国家的な危機(北方の異民族の軍事的脅威)に直面しながら、宮廷貴族や官僚などは新法派と旧法派の党派政争に明け暮れ、庶民の生活を顧みず国家存亡の危機に機能不全となっておりました。そんな蘇軾の憂いを表しているのかと思います。 いつの時代からか茶席に○○は、、、と不文律みたいになっているようですが、今だからこそ掛けました。これもまた文人趣味の三五夜らしく今の気分を掛けさせてもらいました。
本席床の軸はそのような思いもありましたが、茶席の設えは薫風南より来るとの言葉を感じさせるような、南国のものの取り合わせで、お越しくださいました皆様にお茶とお菓子を美味しくいただいて、かつまた楽しく過ごしていただきました。
ところで、今月の月釜でお出ししたお濃茶のお詰は星野製茶園さんの『星授』でした。いつもの宇治のお茶を使っておりますが、趣向に合わせて南国のお茶も良かろうと思い初使いでしたが、コクのある旨味の強いお茶で皆様に好評でした。お水は奈良塔の森の湧水をお近く住む写真家の小豆澤(@nekoanazuki )さんに汲んできてもらいました。先月に引き続きありがとうございます。そしてもう一つ好評だったのが、奈良の和菓子屋さんの黒蜜羹『夏のしずく』。 龍のレリーフの入った飴釉の銘々皿に盛って召し上がっていただきました。
二日間の月釜のあとの25日(日)は三五夜の雅楽教室『おけいこががく』の日でしたが、個別レッスンで生徒さんがお稽古している合間に昨日のお席の後片付けをしておりました。その途中休憩時間に残ったお茶を練りお菓子をいただき余情残心と相成りました。 今月も無事に月釜が終わりホッといたしました。来月は22日(日)23日(月)と開催いたしますが、日本舞踊の師範、花柳綱仁様とのコラボ茶会として、茶席の合間に舞って頂く予定です。茶席はいつも通り少人数で、立礼卓によりお客様も椅子席にて贅沢にゆったりとお茶とお菓子、また花柳先生の舞を鑑賞していただこうと思っています。