先月になってしまいましたが、3月26日(土)・27日(日)と二日間にわたって熊本と茶の湯である肥後古流の江上大輔氏( dsk_1983 )を亭主にお迎えして三五夜の弥生の特別茶会『肥後からの春の便り』を開催し無事に終了しました。
以前よりsnsを通じてお互いの茶の世界観に尊敬と理解を深め合いながら、コロナ禍で実際にお会いする事叶わずにいましたが、今年のはじめ熊本に初釜茶事のお誘いをいただき参ったところ、そのおもてなしぶりとお人柄及びお茶への造詣の深さ、それに勝るとも劣らないお道具の素晴らしさに全く感服いたしました。近畿での茶のつながりやその地の茶をもっと知りたいとの江上氏の日頃からの思いにお聞きし「それなら是非三五夜で茶会でもどうですか?」と不躾なお願いを申し上げたところご快諾いただいたのが、この度の特別茶会に繋がりました。
開催前々日の木曜日の午後、車に茶道具を満載して熊本を出立し、北九州でフェリーに乗り一夜瀬戸内海を揺られ翌朝大阪南港に着き、そのまま生駒を越え大和国へ。飛鳥・奈良時代に遣隋・遣唐使がやってきた用に賓客を春日大社表参道に隣接する三五夜にお迎えする事になりました。
お道具組みは、奈良の春を祝う数々のお道具と、茶の湯創成期から武家茶が形作られる時代のものまで正に茶の湯発祥の地、奈良ならではのお道具組み、花は本席軸に合わせるように清朝期の氷裂紋の貫入の見事な双耳壺に熊本から鉢植えで持って来てくださった薄い桜色の牡丹「八千代椿」。開催前々日の暖かさで蕾が大きく成長したのも、花は亭主の思い通りならないものの一つだと亭主の江上氏は優しく微笑みつつ言いながら、慈しみ愛でながら本席を二日間咲き続けてくれました。表千家家元を不審庵といいますが『不審花開今日春』の言葉通り表千家茶道教室もやっている三五夜で、改めてその言葉を噛み締めることになりました。
菓子は九州太宰府の菓子舗で亭主の江上氏が懇意にしておられる『藤丸』製、干菓子も同じ御製ですが、肥後細川家の御留菓子であったものが、明治維新後に熊本城下で秘伝を伝えていた菓子舗が途絶えたので、あらたに当時の素材を使って再現された「加勢以多(かせいた)」でした。吊釜の趣向の本席は、道具の組み方や炉の灰型の作り方、炭の組み方、釜の位置、お点前の様子、その他作法など、とても新鮮でしたが、それぞれに古書に則り、亭主の江上氏が丁寧にご説明くださったので参席されたお客様も十分理解されて楽しまれたようでした。
自分がお稽古している流派の中にいると、お点前や作法はただ漠然と「こうなっているのだから、こうしなきゃ」って思いがちですが、他流の席に入って自己の流派を絶対視せずに相対的に見ることによって自派の作法の道理を考える大変良いきっかけになったのではないかと思います。三五夜での月並の月釜は私の修めている表千家に沿った茶席ではありますが、肥後古流の江上氏をはじめ、こうやってお招きした亭主によるその御流儀の特別茶会は今後も機会があれば開催したと思っています(江上氏にはまた風炉の時期にいつかお願いできる様にお願いしたいと思います)。
二日目の最終席は夜遅く18時のお席となりましたが、当初参席される方も少ないものと思われていたので、ゆるゆると亭主の江上氏を労わる(江上氏が大の雅楽好きで装束を着た時の感動の話を聞いていたので)一会にしようと、私の感謝の気持ちを込めた宴を用意しておりました。三五夜では雅楽教室もやっており、私も篳篥をやっておりますが、そのご縁で雅楽仲間も増えその楽友のお一人雑喉 泰行様( zakouya_bunuemom )にお願いして、雑喉さんの主宰する雅楽ユニット「天地空」の皆様などに、この一席のみ雅楽を披露していただきました。春に因んだ『春庭花』(管弦吹きでは「春庭楽」ですが今回は舞楽吹きにて演奏しました)、唐の玄宗皇帝が宮殿の庭の春の花が咲くのが遅いと案じ、この一曲を奏したところ一気に花が満開になったとの云われと、日本では皇太子冊立の時に奏されるめでたい曲と、御神楽『其駒』(宮中賢所で天皇伴席のもと祭祀の最後に神を送る時に奏される曲)を。御簾越しに狩衣を来た奏者さん達の姿はまさに寄付に掛けられた源氏物語「若菜」の柏木を眺める女三宮の視線そのものでした。また御神楽『其駒』には歌があるのですが、ユニットは管弦の奏者さんだけなので、「どうするのだろう・・・?」と思っておりましたが、なんと席中のその歌い手さんが、なんと雑喉さんがサプライズでお連れくださったお客様がその歌い手という見事な演出で一興を楽しみました。
数々の眼福のお道具は心の写真に焼き付けて、今回私が一番心に響いたのは、薄茶席でお使いになった自作の茶杓でした。江上氏は茶杓師の海田曲巷さんから茶杓作りを学んでいますが、今回のためにわざわざ師の竹コレクションの中から選りすぐりの竹を用いて削り『天地長久』と銘をつけて用いました。それは故郷八代では神事には必ず流鏑馬があり弓を使う前に、天と地に向かって弦を弾く所作から名付けられたそうです。
肥後の武家茶はあくまでも余技であり、肥後古流のお茶は武士の嗜みの一つ、茶人や数奇者と云われる事に違和感を覚え、刀を茶杓に持ち替えても武の人であることを忘れない、誠に江上氏らしい御銘の茶杓で武の茶を堪能致しました。
お越しいただきましたお客様、並びに影でご協力いただきました江上氏のお母様、及びK様、ご子息の通称チビK様、お客様へのご紹介などもご尽力くださいましたI様、そして何よりも京畿初をこの三五夜で開催してくださいました江上様、有難うございました。深く深く感謝いたします。